8月15日は終戦記念日として、各地で式典などが催されていますが、この戦争のことを私たちはどのくらい知っているのか疑問に思うことがあります。
今年は終戦70年の節目にあたる年として、これまで報道されてこなかったことも報道されたり、新たな事実や見解も広く発表されていますね。
その中でも戦勝国と敗戦国によって国連での力の差が明らかであり、あたかも関ヶ原の戦い後の東軍と西軍の扱いを彷彿させる構図であることに驚かされます。
今や世界に経済的な大きな影響力を持つ日本においても、未だに敗戦国としてのレッテルが貼られ、その発言力が決して強くはないこと。。。
そして中国や韓国などの反日政策、アメリカの一方的な戦略の肯定、今日の情勢の根底はこの戦争で作られたと言ってもよいであろうこと。。。
この戦争は数多くの誤解と矛盾と認識の違いにより、たくさんの惨劇を生み出してしまった。
日本が第二次世界大戦へ参戦するきっかけとなった真珠湾攻撃は、日本は国際法に則り宣戦布告を行っていますが、アメリカ側へその通達が渡ったのが真珠湾攻撃の後になってしまった。
そのこと自体、アメリカ国民はもとより日本国民もあまり知り得ない事実です。
また非戦闘員への攻撃は禁止されているのにも関わらず、無差別攻撃である空襲や広島・長崎への原子爆弾の使用、沖縄では住民を巻き込んだ地上戦も行われており、アメリカ軍の正当性は感じられません。
アメリカでは原爆は戦争の早期終結のために必要だったという意見が大多数を占めるようですが、この国際法を無視した非戦闘員に対する意図的な大規模殺戮は許されるものではないはずです。
また広島平和記念資料館、いわゆる原爆資料館に立ち寄り、原爆により何が起きたのかを目の当たりにすると考え方が変わる人も多いことも付け加えておきます。
こちらは被爆アオギリ2世です。
人権平和資料館の横に植えられています。
広島での原爆投下を受けて、福山からも多くの方が救援に向かい命を落とされています。
この被爆アオギリ二世を寄贈された福山市原爆被害者の会が高齢化などを理由に今年3月に解散しています。
が、何とか存続させたいという想いから有志により4月から新たに福山市原爆被害者友の会が発足しています。
戦争体験者の高齢化の現実が浮き彫りとなりました。
こちらは被爆クスノキ二世。
さきほどの被爆アオギリ二世の横に植えられています。
こちらは長崎から寄贈されたものとあります。
そして我が街福山においては1945年8月8日に福山大空襲が起きました。
時間は夜22時25分頃から23時35分頃までのおよそ1時間10分もの間、市中心市街地が無差別爆撃を受けました。
教科書ではわずか1ページ、もしくは数行で語られる福山大空襲ですが、当時の市民のおよそ82%が被災し、市街のおよそ80%が焼け野原となり、福山城の天守閣も消失した空襲です。
上の写真の母子三人像は福山大空襲により、池田さん親子が市内の田んぼで亡くなっているのが見つかった悲劇がモチーフとなっています。
資料によると目撃談として「着物などは焼けてしまって、遺体はまるでろう人形のようでした」などと紹介されていますが、最近になって焼夷弾により焼けていたのは遺体の一部とみられることが判明しました。
2014年より、福山城の北側のふくやま文学館横にある備後護国神社でみたま祭り・前夜祭が行われています。
帝国陸軍歩兵第41連隊は、大東亜戦争になると、シンガポール・フィリピン(レイテ島)などで激戦を繰り広げ、1945年7月、最後の突撃を敢行し玉砕しました。
慰霊碑はこの備後護国神社に建立されています。
福山に帝国陸軍歩兵第41連隊が配備されていたせいで空襲を受けたという人もいますが、それは違います。
アメリカ軍は日本全土を焦土にする戦略を行っていたのです。
逆に帝国陸軍歩兵第41連隊が配備されていたことで街にどれほどの経済効果がもたらされていたことかを考えると、敬意と感謝の想いを表すべきであろうと思います。
今や80万人もの来場者のある福山ばら祭(5月開催)ですが、戦災復興を願う市民の手で植えられたばらがきっかけです。
ただただ祭りだと陽気に楽しむだけではなく、焼け野原となってしまった福山を何とかよみがえらせたいという気持ちを受け継ぐ気持ちを持って陽気に楽しみたいものです。
また、この戦争のことを何と呼ぶかを考えたいと思います。
呼び方として、第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争などがあります。
第二次世界大戦は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、およびイタリアの三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ、および中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的大規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始まり、その後1941年12月の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。【Wikipediaから抜粋】
太平洋戦争は、第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国など枢軸国と、連合国(主にアメリカ合衆国、大英帝国、オランダなど)の戦争である。日本側の正式名称は1941年(昭和16年)12月12日の東條内閣閣議決定された「大東亜戦争」で、支那事変も含めるとされた。【Wikipediaから抜粋】
日本側の正式な呼び方は大東亜戦争と呼ぶことになりますが、あまり一般的に感じませんね。
おそらく、戦時下の歴史を正しく教えることが困難であったことが要因のひとつではないかと思われます。
そんな大東亜戦争が終息した日が8月15日、いわゆる終戦記念日とされていますが、これはポツダム宣言を受諾し、休戦を宣言した日というのが正しく、事実、海外の多くの国が降伏調印式が行われた9月2日を大戦の終了した日とされていることも知っておくべき事実だと思います。
最後に極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判において、広島・長崎への原爆をはじめとした非戦闘員へ対しての攻撃について、アメリカ軍に対して不問とされています。
それに対し、日本軍の行った戦略は殺戮とされ、大東亜戦争の軍事裁判であるにも関わらず、日本はその前に起きた戦争のことまで咎められています。
これらのことからも勝者の裁きと呼ばれています。
何はともあれ、8月15日という日にかつての大戦のことを思い出し、考えるのは良い機会だと思います。
生身の体験者の高齢化による風化が進んでいる現代だからこそ、もう一度歴史を見直し、二度と同じような惨劇を繰り返さないように。